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報道の伝える大切さ

2017.03.24 制作技術

私は2013年の入社後、約1年間は制作技術センターでENG取材や中継のカメラアシスタントとして働き、その後、現在に到るまで報道技術センター中継・スタジオ技術部にて報道中継を担当しています。
私が担当する報道中継は基本的にTD(テクニカルディレクター)1人、カメラマンが2人、音声が1人の合計4人の中継班で事件現場や記者会見、エンタメ情報やスポーツ関連などの生中継、素材伝送を行っています。大きさ・規模の違う3台の中継車や、ヘリコプターやドローンなどを駆使した生中継が主な仕事です。

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■震災の記憶を伝える仕事

1年間の報道中継の中でも大規模な仕事が3月11日の「東日本大震災特別番組」です。特に今年は私が報道に配属になってから一番大きな規模の中継になりました。私が担当したのは3月6日に放送された「NEWS ZERO」での福島県富岡町からの中継、また3月10日と11日は「news every.」での宮城県南三陸町からの中継を担当しました。


■福島第一原発から10キロ 常磐線富岡駅

3月6日の「NEWS ZERO」の中継は福島第一原発から10km程離れた常磐線富岡駅前。今回は日本テレビと福島中央テレビの共同で、クレーンカメラを含めたカメラ3台を使い中継を行いました。
ここではテクノクレーンという特殊機材を使いました。これは音楽番組などでよく使われるクレーンで、アーム部分が約2m~約10mまで伸縮でき、最高カメラ高9.2mまで上げる事のできるもので、これを使い復興に向けて急ピッチで工事が進む駅前の現状を中継しました。
私はクレーンカメラのアシスタントを担当しましたが、クレーンカメラ用のレールを20m以上敷設するなど大規模な展開となりました。報道としては頻繁には使うことのないテクノクレーンを使用でしたので、セッティング・リハーサルなど万全な準備でオンエアに望みました。天候に恵まれたことと福島中央テレビさんのご協力のおかげで無事に、復興に向けて進みだした街の姿をわかりやすく中継できたと思います。

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■3.11news every.震災特番

NEWS ZEROでの中継を終えた3日後、私たちは週末に控える3.11東日本大震災特別番組の中継地、宮城県の南三陸町にいました。スタッフは総勢27人、東京から持ち出した機材は、中継車2台、カメラ7台、カメラケーブルは合計約3000mと、3tトラック1台分の機材量になりました。現場での機材トラブルが起こらないように、事前に入念な機材チェックをして現場に向かいました。
今回、私はカメラマンとしては初めて東日本大震災特別番組を担当することになりましたが、NiTRoが製作した「ワイヤレスポールカメラ」を日本テレビの生中継では初めて使用したので、機材準備の時から不安と緊張でいっぱいでした。

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ワイヤレスポールカメラとは、長い竿の先に取り付けたカメラで、これを使って「どのような映像が撮れるのか」、実際に歩き回り、OA直前までより良い画を探しました。しかし番組構成の都合で惜しくもオンエアできなかった映像も多々あったので、これからも練習と勉強を繰り返し、次回にチャレンジしたいと思いました。

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震災から6年、被災地は震災の爪痕や復興への兆しが混じりあっていました。復興への道のりはスタートしたばかり。学生の時、ボランティアで訪れた時と比べると見違える程の変化はありましたが、まだまだこれからという印象を強く感じました。
今年は初めてカメラマンとして3月11日を終えましたが、テレビを通して伝えきれていない部分がたくさんありました。また、番組を終えて「もっとこう撮ればよかった」と悔しく思う所が多々ありました。震災の記憶を未来へ繋ぐために、この経験を活かして、もっと技術を向上させ来年も再来年も復興への道のりをカメラマンとして伝えていきたいと思いました。

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筆者